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幕府に願い出た。実地検分は安政2年(1855年)より始まり、安政3年(1856年)には少なくとも一部が完成したと見え、3ヶ所の台場に大砲17門を積みまわした記事が残る。万延元年(1860年)には志賀島・能古島の台場が完成、文久元年(1861年)4月12日には、志賀島・能古島・荒戸山に大砲が設置され
た。1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いにおいて秀成は東軍に属し徳川家康より所領を安堵され、一度の移封もなく廃藩置県まで存続した。 第3代藩主の久清は岡山藩を致仕した熊沢蕃山を招き灌漑事業・富国強兵などの指導を受けた。久清は九重連山の一つ大船山を愛し何度も登山した。ただし、家臣に担がれ
福井藩(ふくいはん)は、越前国にあって現在の福井県嶺北中心部を治めた藩。藩庁は福井城(福井市)。藩主は越前松平家(福井藩主家)。家格は親藩・御家門で、32万石。越前藩(えちぜんはん)とも呼ばれる。また、北の庄(北ノ荘)という地名が福井(福居)と改称される以前の、つまり第3代忠昌以前の結城(松平
福江藩(ふくえはん)は、江戸時代の肥前国において、五島列島全域を治めた藩。五島藩(ごとうはん)とも呼ばれる。藩の成立から版籍奉還まで外様大名の五島家が藩主を務めた。石高は1万5000余石(一時、富江領に3000石を分知し、1万2000余石となる)で、藩庁は石田城(当初は江川城。現在の長崎県五島市)で城主大名だった。