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六月還上松浦修船備行装丁亥二月自上松浦発向国都都中兵起海賊充斥南海路梗従北海而往四月始到若狄州[倭訓臥可沙]馳報国王国王遣兵迎之然盗賊縦横或従間道或留滞備経艱苦凡六十日而得達国都致書与礼物于国王館于東福寺国王方在細川殿陣中与山名殿相持未暇修答至戊子二月受答書国王更議不可無答使又命勝氏備方物遣使勝氏自
再挙を図ったが、ここで幕命を受けた従兄弟の細川頼之に攻撃を受け清氏が戦死すると、程なくして氏春は幕府に降伏し、淡路守護に再任された。 その後は幕府方の武将として文中2年/応安6年(1373年)には河内国で南朝勢力と戦い、武功を挙げた。元中4年/嘉慶元年(1387年)、死去。
頭家督誕生の記事は、氏綱の誕生を意味していると考えられている。 父の従兄弟(従伯父)であった細川高国の養子となる。対立関係にあった細川晴元の反撃を阻めず敗死した養父と、その晴元方に転じて生き残りを模索しながら殺害された実父、2人の仇を討つべく晴元打倒の機を窺い続けた。
れている。この時の死は呪詛によるものであると太平記には記されている。奥州家の家督は義兄弟(父・顕氏の養子)で、はとこ(父の従兄弟和氏の子)の業氏が継いだ。 繁氏の死後、その重要な領国であった讃岐は、はとこ(又従兄弟)の細川頼之の支配することになり、奥州家は本家から独立した守護大名としての力を失った。