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懐、宮田、渡り口、上ノ神、水樽、前田、中津串、中通、橋ノ元、大良、愛宕、茶ノ木、通山、奥戸、桃林、水深、山口、馬道、椎貝、筒口、縄立、黒岩、中川原、中島 中甑という地名は江戸時代より見え、薩摩国甑島郷(外城)のうちであった。村高は三州御治世要覧では252石余、「旧高旧領取調帳」でも252石余であった。
を訪れ閉山を言い渡したという言い伝えが残されている。甑山での修業は女甑の赤穴に安置された秘仏を拝むというものだった。修行者は二十七日の断食の後険しい山によじ登り、鎖を伝って岩場を渡り、最後は命綱で逆さ吊りになって、断崖にある赤穴の中を
国土地理院地図(抄)。陸繋した浜辺や海礁上の小岩、無名の岩を除く。 津口鼻、長瀬 (おさんせ)、下長、鋤の塚 - 島の南側沖。 野崎、二つ張、早崎、鈴崎、飛瀬 - 南西側沖。 立髮、大カブ瀬、貝水、立崎、鷹の巣、チュウ瀬 (ナポレオン岩)、由良島 - 西側沖。 西崎、浮水浦、池屋崎、藺落浦、ヘタノ瀬上、平瀬崎、熊ヶ瀬鼻 - 島の北端部沖。
(1911~1935) 太母高首婦が最初の教団を開創された1911年当時は、日本の植民統治時代であり、この中に太乙呪の奇跡が現れた。甑山の教えは新時代を渇求する民衆の希望となった。そして当時700万の求道者が全国各地から集い、信仰の大復興時代が開かれた。 道紀41年 1911(辛亥) 太母高首婦 甑山道最初の教団創設