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縞の絣の着物を武家の奥女中が用いたが、これは紫や紺色に染めた縞縮緬で御殿絣と称し、京都西陣で作られた。この矢絣は西陣では、「ハシゴ」という道具に経糸を掛けて織る。『守貞謾稿』の「織染」には、縞模様の種類について述べた中に以下の記述がある。 此竪島(縦縞)に竪かすり交へたる縞
伊予絣(いよかすり)は、愛媛県松山市で製造されている木綿の紺絣。松山絣とも呼ばれる。久留米絣、備後絣とともに日本三大絣の一つともされる。 江戸時代の後期に、今出(いまづ、現在の松山市西垣生町付近)の鍵谷カナが独力で織出した。当時、農家の婦女子が副収入を目的とし、農作業の合間を見て紡いだものであった。
織、八反織、一楽織、星七子織、鎖織、四目織等の名が残っている。中には六枚綜絖、更に高級な十枚綜絖の組織織(そしきおり)も織られるようになった。このような織物を風通織といった。 風通織の中には紺色の糸の間に白糸をうまく組み入れて小さな井桁の絣柄を織りでだした織
1824年に町医者の妻の長岡貞子が米子町(現・米子市)から染色の技術を広めたのを始まったとされており、広瀬藩の保護を受けた。同藩の絵師堀江友声の図案で織られたという。広瀬の大柄、備後の中柄、久留米の小柄と評された。 1962年には県の無形文化財に指定、1970年には伝承するために伝習所を設立、1985年には広瀬絣センターを設立した。