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細簿を提出している。これによると、この当時に安置されていた諸仏像は30体、境内地の他に1685.28坪の境外民有地を有していた(土地は境内地のみ再下付される)。大正12年(1923年)の関東大震災でこの堂宇も焼失、再建するも昭和12年(1937年)に自火焼失、ついに江戸時代以来の旧地を離れて昭和
〔気随(キズイ)の略〕
至心院(ししんいん、? - 延享5年2月26日(1748年3月24日))は、徳川幕府9代将軍徳川家重の側室で、10代将軍徳川家治の生母。通称にお幸の方(おこうのかた)。俗名は幸子、こう(幸)。贈従一位。父は梅渓通条。 享保16年(1731年)、増子女王が京都から徳川家重のもとへ輿入の際に、増子の御側
観心院(かんしんいん、延享2年(1745年) - 文化2年9月16日(1805年11月6日))は、第7代仙台藩主伊達重村の正室。関白近衛内前の養女で広幡長忠の娘。母は側室仲小路氏。本名は惇君、伊達家に入って年子(のぶこ)。 宝暦10年(1760年)2月に重村と結婚。重村の祖母である長松院は大叔母で重村ははとこにあたる。