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景徳王(けいとくおう、? - 765年)は、新羅の第35代の王(在位:742年 – 765年)で、姓は金、諱は憲英。先代の孝成王の同母弟であり、父は第33代聖徳王、母は伊飡(2等官)の金順元の娘の炤徳王后。王妃は舒弗邯(1等官)の金義忠の娘の満月夫人(景垂王后)。孝成王に子がなかったために739年
神徳王(しんとくおう、? - 917年)は、新羅第53代国王(在位:912年 - 917年)。姓は朴、諱は景暉、初名は秀宗。第8代新羅王阿達羅尼師今の23代孫、父は朴乂謙、母は貞花夫人、妃は第49代憲康王の娘である。この王から3代の間、王統が金氏から朴氏に変わっている。 912年、前代孝恭王に子がいなかったので推戴されて王位についた。
威徳王(いとくおう)は、東アジア世界における王の諡号の一つ。 威徳王 (箕子朝鮮) (箕子朝鮮、在位:紀元前793年 - 紀元前778年) 威徳王 (百済) (百済、在位:554年 - 598年) 同諡号廟号一覧 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の
興徳王)が王太子に立てられたものと見られている。また、『旧唐書』や『新唐書』の新羅伝には、金景徽(興徳王)は金彦昇(憲徳王)の子であると記している。しかし『三国史記』新羅本紀・憲徳王紀に拠れば、憲徳王には金憲章・金張廉・金昕らの王子がいたことが記されており、また、822年3月以降で忠恭角干(憲徳王