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脇城(わきじょう)は、徳島県美馬市脇町大字脇町にあった日本の城。阿波九城の一つ。別名虎伏城。 戦国時代に脇権守という人物が館を構えたのが始まりであると云われている。 天文2年(1533年)、三好長慶が築城し、三河守兼則が守護した。当時は、西にあった岩倉城と合わせて阿波の西部を守る体制をとっており、
多数の曲輪、土塁、空堀、井戸跡などの他、虎口が確認され、発掘調査では当時使用した陶磁器などが出土している。近年は地域ボランティアの尽力により草などが刈られており、遺構は比較的見学しやすい。 東日本旅客鉄道(JR東日本)男鹿線脇本駅から徒歩35分。 内館 空堀 脇本城空撮 衛星図 [脚注の使い方] ^
二の丸御殿大書院は丹波篠山市立篠山小学校(当時:篠山尋常小学校)の校舎として、1910年(明治43年)からは多紀郡公会堂として利用されていた。 1912年(明治45年)から1922年(大正11年) - 二の丸に郡立高等女学校があった。 1944年(昭和19年)1月6日 - 失火により大書院が焼失。
長篠菅沼氏が徳川家康に服属していた元亀2年(1571年)、武田信玄による三河侵攻の一端として、天野景貫によって攻められる。攻守双方の払った犠牲は大きかったが、陥落だけは免れた。その後、菅沼総領家・田峯菅沼氏から遣わされた使者の説得を受け、城主であった元成の直系玄孫・菅沼正貞は、心ならずも武田軍の圧力に屈した。