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赫連 昌(かくれん しょう)は、五胡十六国時代の夏の初代皇帝赫連勃勃の三男で、第2代皇帝。もとの名は折。 赫連勃勃の部将として活躍し、424年の後継争いで太子を殺した廃太子を討ち取って自分が太子となった。425年に即位すると、北魏に敗れ、427年に都統万城を落とされ上邽に逃亡し、翌年秦州に奔った所
⇒ かっかく(赫赫)
はなばなしい功名をあげるさま。
また、勃勃は自身の姓を劉から赫連に改めた。理由は、匈奴の劉姓が漢の高祖劉邦が娘を冒頓単于に与えたことから由来しているため母方の姓であり、父方の姓を受け継ぐ慣習に倣ったものではないと考えたためである。勃勃は赫天に連なるという意味で赫連と改姓し、同族の劉姓は「鉄のように強